活動内容5月総会時の卒業生による講演会手術患者のQOLと周術期管理

 

 

手術患者のQOLと周術期管理

東邦大学医学部麻酔科学第二講座
大 江 容 子(昭和47年卒)

 

麻酔とは手術侵襲から患者の生体を守る事である。歴史的にみればそれは痛みからの開放から始まり、侵襲の程度により局所麻酔や全身麻酔へと広がりを示してきた。そして、理想的な麻酔は患者への不安がなく、麻酔の導入覚醒が速やかで、術後の痛みがなく、早期に通常生活に戻れることである。1990年代に入り相次ぐ新薬の開発、種種の患者監視モニターの導入により、より安全な周術期管理が行なえるようになった。そして周術期管理が術後の予後に大きな影響を与えるとまで言われるようになった。
 近代麻酔の始まりは、1846年Mortonがエーテル麻酔の公開実験に成功したのが初とされている。しかし、日本ではそれより約40年前の1804年10月13日に花岡青州が通仙散による乳癌の手術に成功していた。日本麻酔科学会では10月13日を「麻酔の日」と定めた。1900年代に入りハロタン、1972年エンフルラン、1975年イソフルランが発売さ、1990年世界に先駆けて日本で初めて臨床使用された吸入麻酔薬セボフルランが登場し、吸入麻酔薬の大半を占めるようになった。しかしセブフルランは鎮痛作用が不十分なため鎮痛を補う手段が必要となった。そこで全身麻酔の三大要素である意識の消失(鎮静)、痛みの消失(鎮痛)、体動防止(筋弛緩)を単一麻酔薬で行なう方法から各々個別に調節するバランス麻酔が主流となってきた。そして揮発性吸入麻酔薬や亜酸化窒素が大気汚染やオゾン層の破壊につながるとの事から、また、高価な麻酔気化器やモニターが不必要であるとの点から、ガス麻酔薬を使用しない静脈麻酔薬のみで全身麻酔を管理する完全静脈麻酔法total intravenous anesthesia(TIVA)が普及するようになった。

1)バランス麻酔としての薬剤
意識の消失としての鎮静薬は吸入麻酔薬のセボフルランから静脈麻酔薬のプロポフォールに移行しつつある。プロポフォールは脂質溶解性の乳濁性注射薬で、肝摂取率が高く、急速に代謝されるため蓄積性が低く、静脈内投与で30秒以内に意識が消失して4−8分で覚醒する。気道反射抑制が強く、術後の悪心・嘔吐が少ないが。副作用として血圧低下、投与時の血管痛を生じる。血管痛は注入部位によって差があり、大血管ほど少なく、LCTよりLCT/MCTの方が少ない。麻酔導入には2−2・5mg/kgのボーラス投与で、麻酔維持には10−8−6−4mg/kg/hrの段階的減量で使用される。静脈麻酔薬の作用部位の標的濃度を設定して自動的に薬剤投与を調節するコンピュータ内蔵型シリンジポンプTCI(target controlled infusion)ポンプの登場で操作が簡便になった。
痛みの消失としての鎮痛にはオピオイド製剤、持続硬膜外鎮痛や神経ブロックが用いられる。超短期作用性オピオイド鎮痛薬のレミフェンタニルは選択的μオピオイド受容体アゴニストで、強力な鎮痛作用を呈する。作用発現時間は1分、血液中および組織内の非特異的エステラーゼにより速やかに代謝されるので作用持続時間は3−10分と短く調節性に富んでいる。代謝産物に作用がなく、CSHTは投与持続時間による変動がないので長時間の投与でも蓄積効果がない。一般的臨床使用は0・2−0・5μg/kg/minで持続投与される。副作用は製剤にグルシンを含むため硬膜外投与や脊髄くも膜下への投与は禁忌である。その他は一般的オピオイドと同様で呼吸循環抑制を示す。また、覚醒が早いので覚醒前からの術後鎮痛管理が必要となる。
体動防止としての筋弛緩薬は非脱分極性筋弛緩薬で作用時間が短いものが望まれる。ステロイド系中間作用時間型のロクロニウムは力価がベクロニウムの1/6であるが、効果発現時間が短かく、0・6mg/kgの静脈内投与後1分程度で気管挿管が可能となる。作用持続時間は13−26分で、肝で代謝される。抗コリンエステラーゼ薬による拮抗が可能ではあるが、近日中にロクロニウムを直接包接する拮抗薬(スガマデクス)が発売予定である。

2)患者監視モニター
安全な周術期管理を行なうためには、専門医による絶え間ない管理が重要である。日本麻酔学会は1993年「安全な麻酔のためのモニター指針」を発表した。第一に麻酔を担当する医師が絶え間なく看視することが重要しされている。モニターとしては酸素化チェックのためのパルスオキシメータ、換気チェックのカプノメータ、血圧・心電図の循環モニター、体温測定が義務付けられている。筋弛緩モニターの使用は筋弛緩のチェックが必要な場合としている。
TIVAが普及するようになると浅麻酔による術中覚醒が危惧される。この問題を解決するために、脳波の変化より鎮静状態、麻酔深度を評価するモニターが試みられた。脳波を特殊な方法で解析し催眠レベルを0−100の数値で表すBIS(Bispectral index)が用いられるようになった。BIS値は測定値ではなく、複数の脳波解析から得られたサブパラメーターを特殊な方法(ブラックボックスになっている)で算出した値である。脳波は薬剤によって異なるのでBIS値対応の薬剤以外では信憑性が疑われる。全身麻酔中の適切な催眠状態は、BIS値が40−60とされている。

3)術後鎮痛
麻酔覚醒時の問題点は術後の痛みを如何に抑えるかである。手術侵襲による痛みは皮膚からの表在性疼痛(鋭い痛み=有髄性のAδ線維、神経ブロックが有効)と深部組織からの疼痛(部位が固定しにくい鈍い痛み=無髄性、NSADs、オピオイドが有効)があり、これらの侵害性刺激を受けると中枢性感作が生じ、痛覚過敏状態が形成される。術後痛を抑制するには、手術侵襲の加わる前に硬膜外ブロックや神経ブロックで侵害刺激を遮断し、術中、術後はNSADsやオピオイドなどの鎮痛薬を投与することで痛みを限りなく0にする事が可能となる。
術後鎮痛薬の投与方法も間歇的投与ではなく、継続的に一定量の鎮痛薬を投与し、さらに患者自身が疼痛時に指定された量の鎮痛薬が投与できる患者自己調節法PCA(Patient-controlled analgesia)が導入されるようになって、術後疼痛緩和もより患者の満足度が得られるようになった。
このようなきめ細かい周術期管理と新薬、様々な機械の開発によって患者QOLを考慮した周術期管理が行なえるようになった。
周術期の状態が患者の長期予後に大きく影響を与えるとも言われており、術中のストレス反応、体温管理、血糖管理や循環血液量、酸素供給量などとの関連性については、今後の研究課題である。

 

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